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実行部隊

GHQ"

実行部隊

 占領軍による情報統制の大枠は、一つは表の機関としてCIE(Civil Information and Deucation Bureau)がある。CIEの役割は、長期的、戦略的に日本人の思想を民主化、非軍国主義化させる、もっと言えば「親米化」させるということであった。GHQはこれを「再教育」(Re-education)と呼称した。

  もう一つは裏の機関であったCCD(Civil Censorship Detachment)があり、マスメディアと、電話や電報、郵便、そして一番多かった手紙の検閲などをやっていた。
 最盛期には、全国で8700人ぐらいの検閲者を使っており、そのほとんどが日本人だった(8)。これは日本の反米的な動きや、ソ連などから入ってくる情報をチェックするような、要するに情報入手が狙いだったと考えられる。

 表の機関、半公然の機関であるCIEは、メディアの方向を指示したり、メディアを使った「啓蒙」活動を行っていたが、日本人の多くはCIEについてさえよく知らなかった。またメディア関係者は検閲に直面していた。したがってCCDに日頃接触していた。

 しかしメディア関係者ですらも、CCDとCIEを混同したりしている状況であった(9)。GHQではCCDないしその上部機関のCIS(Civil Intelligence Section:民間諜報)の存在を知らしめないために、意図的に混乱させていたとも言える。

 アメリカの方ではきちんと分けていて、CCDは実際の言説のチェックをもっぱら行う。それはある程度、長期的には思想操作や日本人の再教育という狙いはあったが、どちらかというと実際上の、当面の問題を扱う。
 一方CIEの方は、戦略的、長期的に日本人工作を考えているというものと考えてよいだろう。

 端的に言えば、「検閲」の方は、日本人の「過去」の遺物を削除し、「再教育」は、その取り除かれ、空っぽになった部分にアメリカ的イデオロギーを注入することだったと言えるかもしれない。


部隊まとめ

 G2(General Staff 2:参謀第二部)チャールズ・A・ウィロビー部長。諜報を担当し、日本語文書の翻訳、情報収集などを担当。1946年5月にはCISが移管されている。外国使節とSCAPの機関との間及び日本政府と占領軍との間の公式の連絡、などを任務とした。  GSと対立しており、その争いが日本政治に及ぶことも珍しくなかった。

 CCD(Civil Censorship Detachment:民間検閲支隊)G2指揮下に置かれた雑誌、新聞、手紙などの民間検閲を担当した機関。また、情報収集も重要な役割の一つで、ここで集められた情報は占領軍諸機関に送られた。

1945年から49年にかけて、出版物(書籍、雑誌、新聞、パンフレット)や手紙、葉書の通信物、電話まで検閲を行った。検閲制度の終了とともに、CCDで保管されていたこれらの検閲済み出版物は、CCDに勤めていたゴードン・プランゲ博士が持ち帰った。現在プランゲ文庫と言われる資料群として有名。

 PPB(Press,Pictorial and Broadcast Division:新聞映画放送部)課長カステロ。CCD内に設置され、新聞、放送等のマスメディアの検閲を担当。

 CIS(Civil Inteligence Section:民間諜報局)トップはG2局長のウィロビーが兼任。新聞連載「太平洋戦争史」などを作成。

 CIE(Civil Information and Deucation Bureau:民間情報教育局)局長ケン・R・ダイク→ニュージェント。CCDと共にメディアを指導しながら、国民を「啓蒙」「教育」した機関。多くの映画、ラジオ「眞相」シリーズなどを製作、指導した。

 CIC(Counter Inteligence corps:対敵諜報部隊)

 SSU(戦略諜報部隊) CIAにつながる前身組織の1つ。第2次大戦中に情報取集や工作活動を担当したOSSが戦後解散となり、作戦要員を引き継いで設置された。47年設立のCIAに吸収された。

 CIA(Central Intelligence Agency:アメリカ中央諜報局)OSSから再編された諜報、謀略機関で、占領期日本でも活動したらしい。

 OWI(Office of War Information:戦時情報局)1942年6月にCOI(Office of the Cordinator of Information)からOWIとOSSとに分かれた。大統領の直轄機関であり、宣伝専門機関として活動し、戦時中はラジオのVOA放送や宣伝映画を製作。長官にはCBSニュース解説者エルマー・デイビス、対外部長に作家のロバート・シャーウッド、検閲局にはAP通信のバイロン・プライスが就いた。占領下での民間検閲は当初このOWIなどが行う予定であった。

 OSS(Office of Strategic Service:戦略諜報局)長官はCOIの長官でもあったウィリアム・ドノバン。陸海軍と連携して宣伝活動を行った。諜報と工作を行う謀略機関として、戦時中、日系人や捕虜日本兵を使ってのラジオ放送やビラによる宣伝を実施。後にCIAの母体となる。1946年1月12日解散。

 USSBS(United States Strategic Bombing Survey,:米国戦略爆撃調査団)米軍の行った戦略爆撃の効果や影響について調査する機関。日本では原子爆弾の効果を確かめる他、ビラやラジオによる宣伝の効果も分析した。


(8)検閲官として働いた人々は、同胞を裏切っていたという意識からかほとんど口を閉ざしている。そんな中でわずかながらも告白している人はおり、その一人の著書に、甲斐弦『GHQ検閲官』(著葦書房、1995/8)がある。

(9)前掲『閉された言語空間―占領軍の検閲と戦後日本』219項

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