人の歴史とは戦争の歴史でもある。ここではフィンレイのThe World of Odysseus (Penguin)や、高津春繁「ホメ−ロスの英雄叙事詩」(岩波新書)にしたがって、ホメロスの描くトロイ戦争を題材に戦争について考えてみたい。
トロイ戦争の時代はホメロスの頃にはもはや伝説につつまれたギリシャの「英雄時代」である。叙事詩の回顧的な調子は、「イリアス」第12巻の冒頭に見られれる。歴史の痕跡を跡形もなく押し流していく時の波が、神々の謀みというイメージ的な比喩で表現されている。
トロイ戦争がどのようなものであったか、これは中世の類似した例である「ロランの歌」が大いに示唆を与えてくれる。
「ロランの歌」は八世紀の末にシャルルマーニュがスペインに遠征した際、帰路に起こった小事件を核にして、時代を経るに従い雪だるま式に伝承の衣をまとい、ついにはキリスト教国と雲霞のようなサラセン軍との一大決戦にまで発展した壮大な叙事詩である。
シュリーマンの発掘したトロイ戦争期のものと思われる発掘層は、たいした建造物や宮殿の痕跡も見られないみすぼらしい場所であった。
とても1186隻の兵船をくりだして、ギリシャの英雄が総出で略奪に行くような町ではなかった。もっとも、この船の数自体が誇張であるようだが。
つまるところ、トロイ戦争の歴史性については、フィンレイは次のように結論している。「ホーマーのトロイ戦争は、ギリシャの青銅器時代の「歴史」から立ちのいてもらうべきであると提案したい。」
なおフィンレイは両叙事詩によって描かれた世界が、一方はミケネ期の残照、他方は同時代の反映という「アナクロ」があるとして、大体前9〜10世紀のものとしている。
トロイ戦争の歴史性についてはさておき、物語られたことの中にはその時代を反映した何らかの真実性があるはずである。それを次に探っていく。
トロイ戦争の表向きの動機ないし設定によれば、トロイの王子パリス(又はアレクサンドロス)に奪われた妻ヘレネーを取り戻すために、夫のメネラオスの兄弟であるアガメムノンが総大将となり、ギリシャ中の英雄をつのって、トロイ攻略の兵を起こす。
イリオンの入江の岸に所狭しと船を並べて、防戦するトロイ方連合軍と相戦うこと早や十年、諸兵疲れ、総大将アガメムノンとアキレスの間には捕虜の女をめぐって険悪なシチュエーションが持ちあがったところで、ホラチウスのいわゆる「ミドル(半ば)」をもって、「イリアス」は始まる。