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女の原罪性

キリスト

 原罪性の強調はギリシア以降に顕著で、旧約聖書では、神は土から人類最初の人間アダムをつくった。そしてアダムの肋骨から最初の女イブをつくった。彼女はヘビに欺かれ、神に禁じられた『善悪を知る樹』の実を食べ、夫アダムに与えたので、2人は神によってエデンの園を追放された。この罪のために女性は夫に仕え、産みの苦しみを受けるのだとしている。

 ギリシア神話にもこれに似た話がある。プロメテウスが天上の火を盗んで人間に与えたためゼウスが怒り、人間に災いをもたらせようとヘファイストスに命じて泥から地上最初の女パンドラをつくらせた。

 プロメテウスの弟エピメテウスは、美しいパンドラを見ると、ゼウスからの贈り物は受けないようにとの兄プロメテウスの戒めを破り妻にしてしまう。こうしてゼウスは家の蓄えを片っ端から食い尽くす女という種族を人間界へ送り出し、人間どもに災いをまき散らした。

 またパンドラは、その中にあらゆる災いや害悪が詰まっている手箱を神々からもらっていた。彼女は見てはいけないと忠告されていたが、好奇心から開けてしまい、それらはたちまち四方に飛び散った。このときから人類は、さまざまな病苦と災難などの不幸にみまわれることになる。パンドラはあわてて蓋をしたが、その中にはむなしい希望だけが残ったとしている

 これらに対しアフリカ神話では原罪性や神と人間の対立関係がそれほど強くなく、例えば南スーダンの牧畜民ディンカ族の神話においては、天地の分離と神と人間の分離は、暗く窮屈ではあるが安全な母胎から出てくること、息子が成長して父の庇護と監督から独立すること、光が闇を追い払う夜明け、眼が見えるようになること、などのイメージも伴っている。

 人間が真の意味での人間になる過程であり、自由と自律を獲得すると同時に、苦しみや死が人間的生の条件ともなる過程と捉えている。新しい世界においても依然として神の力に依存しており、しかもその神は今や自分たちの手の届かないところにいるという、神は遠いと同時に偏在している、守護者であると同時に不可知であり、生命を与えると同時に奪うものと、神と人間の関係の両義性を保持している。

 そして「地面に鍬を打ち込んだ新妻」の例や、「より大きい杵を用いた女」の例も、家族のためにもう少し多くの食料を得ようという、日常的でささいな出来事をきっかけにしており、ギリシア神話や旧約聖書のような絶対的な原罪性とはほど遠い。女の絶対的な「厄介さ」、つまり諸悪の根元ゆえに罰を受けるべきまたは制覇すべき対象との考え方に対して、むしろ集団の運命に与える女の影響力の強さを暗示しており、しかも否定するのではなくそのまま受け入れている。

 世界の初めは、神々と人間は一緒に生活して同じものを食べ、両者の間には本質的な違いはなかった。人間には老化もなければ死もなく、労働もなかったと楽園世界を措定している。この点ではアフリカ神話もギリシア神話も、それを受け継いだ旧約聖書も同様である。ヨーロッパ文明の源流の一つがアフリカにあることを暗示している。

 キリスト教とその母体となったユダヤ教は、当時の世界では特異な存在として成立した。周囲の地母神宗教では「自然」を排除する傾向はなく、大地への礼拝など生産的、生殖的な性格を持っていにもかかわらず、これらの宗教は、最初の他者である自然崇拝への嫌悪を示し、自然を神の被造物という一段低い地位に固定した。つまり精霊信仰から唯一創造神信仰への転換である。

 そしてそれと同時に、人間の「内なる自然」である生殖・出産、つまり「女」を否定したものとなったということだ。これが、聖母の処女懐妊の伝説や助産技術をもつ女が標的にされた中世の魔女狩りなどに繋がっていった。

 さらに、周囲の地母神信仰から「自分」という境界線を守るために、生まれ落ちた瞬間から他者に対する憎悪で形成され、既存の宗教には見られなかったほどの他者排除の論理がつくられた。

 ユダヤ、キリスト教は、女、つまり地母信仰へのルサンチマンによって「人間は生まれながらにして罪を背負っている」という錯乱した概念を一面に持つ。そして、太母信仰に代わる父権的な社会構造を構築し、他者排除と自己拡大欲を維持しつづけてきたという見方もできるかもしれない。

「すべての男の頭はキリスト、女の頭は男、そしてキリストの頭は神であるということです。〜中略〜男は神の姿と栄光を映す者ですから、頭に物をかぶるべきではありません。しかし、女は男の栄光を映す者です。というのは、男が女から出て来たのではなく、女が男から出て来たのだし、男が女のために造られたのではなく、女が男のために造られたのだからです。」(コリント信徒への手紙第一、11章3節以下)

 男(アダム)からとった肋骨で女(イブ)が作られるという楽園伝説にはじまる男性優位の価値観によって、女の存在を排除、或いは従属物とみなしてきた西洋世界。騎士道が根本にある、いわゆるレディファーストというのも、こうした男性優位の序列ゆるぎないからこそ行われる。

 しかし、そうした主流的な価値観の一方に、マリア信仰のような女性崇拝の思想も存在している。これはキリスト教に教化される以前の地中海世界各地の土着思想が、キリスト教的なかたちに変容させられながらも人々の間に民間信仰として残った姿でもある。

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