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キリストとイスラム

キリスト

世界三大宗教の中でキリスト教、イスラム教はともに一神教である。キリスト教は主にヨーロッパ、北米・南米で、イスラム教は主にアラブ・ペルシャ・トルコ系の人々の間で信じられている。

どちらも同一の神を奉じ、同じような神話を持ち、いわば双子のような存在であるが(両者の教典の中でも父を同じくする兄弟、とされる)、現在の世界の価値観を決定しているのは、キリスト教文明である。軍事、政治、経済どの分野でも同様。

この両者の争いを宗教対立と見るのが一般的であるように思うが、歴史を通じてのこの対立の意味合いは宗教的というよりも、ヨーロッパ対西アジア・北アフリカ文明の対立であると捉えられる。

名目上は宗教対立を掲げていても、実態は政治的、経済的な争いであることが多く、カエサルの東方遠征、オスマントルコの東欧支配、十字軍の東方侵攻などの歴史的事象を見ても、結局は財宝の奪取と植民地の拡大が主な目的であったからである。

どちらにしろ、現在の歴史の勝者がキリスト教文明であることに違いはない。ではこの二つの宗教の隆盛の差を決定的にしたものは何であったろうか。細かいことを言い出せばきりはないが、「商業認識の違い」が最も大きかったのではないだろうか。

イスラム教の特徴のひとつに商業肯定がある。しかし同時にムハンンドは徹底した金利批判主義で金利収入は認めず、商業利益の公共福祉への寄付を奨励した。都市における土地の所有権は認めても、政治・宗教的イスラム共同体(ウンマ)への服従は絶対だったのである。

つまり交換経済、私有財産制度の肯定と、利子収入の否定と絶対的な政治・宗教的イスラム共同体(ウンマ)への服従による市場活力を保持した貧富の差や政治的混乱の解消。これが市場経済黎明期であった当時の中東世界においてムハマンドが受け入れらた理由ではないだろうか。

しかし市場経済は、中世、近世、近代と欧州において、外部(イスラム、アジア、アフリカ)から搾取することで国民経済の反映を図るという社会へと移行していく。ここでは金利という動機がなければリスクを犯してまで大航海に乗り出そうと言う投資家は現れない。

確かにキリスト教は金融を商売を否定している。しかし実態としての王政はどんどん金融経済を推奨していく。同時に修道院(のちに大学)という世俗とは切り離された世界でキリスト教(のちに近代思想)はその支配観念としての正当性を確保していく。今日の政教分離の根本がここにある。

現在のアメリカの戦争状況を見ても分かるとおり、平和と戦争が同居しているのがキリスト教世界なのである。この政教分離のシステムはきわめて擬制的な社会統合システムだといえる。

イスラムにもこうした2枚舌なところはあるが、政治=宗教であるイスラムは建前だけでは決してよしとしない。こうして、政教一体、戒律主義のイスラム教から政教分離、本音と建前のキリスト教へと世界宗教の主導権は推移していったのではないだろうか


新航路の発見

政教分離に加えて、キリスト教勢力による新航路の発見がある。中東イスラム世界は、国際交易に大きく依存していた。ということは、歴史的事件に影響されるということである。

陸上のシルクロードから大航海時代の海上のシルクロードへ、その変化がイスラム経済圏に与えた影響は決定的である。バスコダガマにしろコロンブスにしろ莫大な資本投資を受けて大航海時代を切り開いていったのだが、交易路の変化はイスラムと欧州の国力の差の結果でもある。この国力の差のもとになったものがスポンサーである王侯貴族の存在である。

将来的に新ルートを築けば、長い目で見れば得になる。そのためには無駄金でも何でも使うという道楽的思考があった。これはある種金融の本質で、何隻沈んでも、代わりはいくらでもあると金をジャブジャブ使う。当たるまで使うから当然当たる。新規開拓の利益は膨大で富はますます増大することになる。

さらに欧州における支配観念の形成構造と、イスラムの支配観念の形成構造の違いにも注目したい。
イスラムの場合、アラブ=遊牧民という基本的な共通の民族的伝統の上に作り出された宗教である。したがって、それまでの個々の部族に冠せられていた守護神的トーテミズムは解体され、絶対的な唯一神との契約関係になっていく。

しかしこの強力な統合体制は極度の闘争圧力があって成立するものだと考えられる。実際、近代技術の発達とともに戒律の絶対性は弱まり、西洋から侵攻を受け、イスラエルという国家が作られる。

こうした圧力を受けるとイスラムは「我々が神から罰を受けるのは我々の信仰が足りないからだ」と「原理主義」へと回帰していく。
現在タリバンが思いのほか衰弱し、イスラムのラジオから流行歌が流れるようになったというのは、この原理主義がそうとう強い闘争圧力下でしか成立しない、ガラスの統合であることも物語っている。

それに対して、欧州の支配観念となったキリスト教はどうか。同じ遊牧民の宗教であるユダヤ教を起源としながら、キリスト教は、遊牧民だけの宗教に止まることなく、海賊の血を引くアングロサクソン民族、農耕民であるゲルマン民族、そして当時の支配階級であったローマ帝国と思想交配を重ねる。

例えば、聖母マリア(農業の神である大地母神)信仰やサンタクロース(森の聖人)信仰等は、ある種、欧州の土着信仰を巧みにキリスト教が取り込んでいった結果である。つまり既成の偶像信仰を否定せず、巧みに一神教のヒエラルキーの中に統合していったのがキリスト教なのである。

この異民族との接触の中で編み出されていった知恵こそがキリスト教がここまで勢力を拡大し、かつ市場経済がもたらす豊かさを一定享受しながら体制を維持・発展させていった秘密ではないだろうか。そしてその知恵の中心にあるものこそ、政教分離という偽装形態システムではないかと考えられる。


金融システムの確立

15世紀半ば、オスマントルコの地中海地域の制圧があったように力関係では、イスラム勢力が上回っていた。

しかし、十字軍によるイスラム勢力の駆逐にはじまり、陸路中継なしの新ルート開発、「東方見聞録」に代表される東方への憧れと経済的動機から、航海者達は国王から大援助を得て、航海技術の発達が促されていく。

その前段階で、地中海を中心にした交易と、それに伴う金融システムの確立ということが、贅沢需要自体を発展させ、交易を活性化させた要因としてある。

一つに、都市住民が交易商人となることによって、富を得、消費層に変化していったこと。これにより需要が王族貴族、神職階級から都市住民にまで拡大していった。次に、金融システムの確立により、貨幣自体の流れが活発になる。

これにより商取引に融通性が生まれ、交易自体が活発になると同時に、貨幣やその代役である小切手などに対する信任を共有することから、個人レベルにとどまらず、国家自体に、富=貨幣=交易という意識が生まれたのではないか。

この時代以降、富とは交易と金融いう流通の中で生まれていくものであり、独占することの意味が変化していく。キリスト教と資本主義 とが政教分離を媒介にして世界の富を独占していく時代に入る。

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