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宣伝の歴史・手法

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 本論では「政治的宣伝」(プロパガンダ)(6)のことを示す。特定の目的を持って個人や集団に影響を与え、その行動を意図した方向へ仕向ける。自勢力やその行動の支持を高める宣伝のほかに、敵対勢力の支持を自らに向けるためのもの、または敵対勢力の支持やその行動を失墜させるための宣伝もある。

 もともとローマ・カソリック教会で、異教地域への伝道・宣布活動に用いた用語とされる。政治的宣伝も、商品を売るための広告も、ともに宣伝であるが、通常前者を指して用いられる。また新聞の報道はプロパガンダと同じく、人々が直接経験しない事項について伝達するが、事実に基づいた客観的な情報であるという前提で行われる。

 宣伝媒体は、テレビ、新聞、ラジオ、ポスター、映画、雑誌、写真など、あらゆるメディアが対象となり得、「政治的宣伝」という通り、政治があるところには、どこでも存在する。

 特にロシア革命直後のソ連で急速に発達し、ソ連は「世界初の宣伝国家」とも言われる。第二次世界大戦下では国家の総動員態勢を維持するために、枢軸国、連合国を問わず、宣伝は重視されていた。

 中でもヒトラーが宣伝を重視していたことは有名で、他にも日本の光機関、アメリカのOSSやG2、イギリスのMOIなどがある。またこの時は新しい媒体としてラジオを各国とも重視している。

 その後の冷戦状況では米露による勢力争いの中で、宣伝合戦の様相を呈するようになっていった。

 最近では、イラク戦争において中東のアルジャジーラというテレビ局が、アメリカの宣伝に対抗するアラブ諸国側の情報発信基地として活躍していたことは記憶に新しい。


宣伝の手法

 宣伝の中でも特に相手国の認識や世論の操作のために行う宣伝においては、その本当の意図と主体は秘匿されておかなければいけないとされる。宣伝には単純なスパイによる情報収集や防諜活動の場合とは異質の、高度な秘密性が不可欠の要素として求められる。

 宣伝とは、その秘密性を背後に持って行う公然活動なのであり、宣伝の効果はこの秘密の保持いかんによって決まる。

 そしてこれが成功すれば、その実態が後に暴露されたとしても、その対象国や国民に反感を抱かせない。それどころか、「手法はともかくも、我々に正しい情報、認識を与えてくれた。」とまで思わせることが出来た。

 また、「教育」や「啓蒙」も広義の意味で宣伝の要素を持つ。この場合は、主体は隠さずむしろ全面に存在をアピールして行う方が有効な場合が多い。これは本論で扱う日本の占領政策では、日本人を「啓蒙」「再教育」するという考え方を理解する上で重要な要素になる。

 そして宣伝に密接に関連するのがメディア統制である。
 日本では他の諸機関と同じく既存のメディアが利用されたが、大きな違いがGHQによる直接統制を受けたことである。

 なぜメディアだけは直接統治だったのか。それはやはりマッカーサーのメディア好き、メディア利用の宣伝あるいは世論操作の志向からきていたと考えられる。

 写真写りもすべて計算したというのは有名な話だが、ニューギニアやフィリピン上陸など戦果を上げた発表のときには、自らの名前や写真を必ず出すように報道官に命じて、「マッカーサーの戦域では」という形で発表させた。

 帰国後、大統領を狙っていたとも言われている通り、日本占領の名声が本国に喧伝されることが彼の眼目であったのだろう。メディアの力を認識し、それを自分の手駒のように使う戦略に長けている軍人だった言える。(7)


(6)宣伝については、その語源や意味は、里美脩『姿なき敵ープロパガンダの研究』(光栄印刷、2005/11/15)に、その実態は、山本武利『ブラック・プロパガンダ―謀略のラジオ』「岩波書店」(2002/5)など。

(7)マッカーサーについては、アメリカ側の視点から、袖井 林二郎マッカーサーの二千日 (中公文庫、2004/07) が、日本側の視点から、西鋭夫『國破れてマッカーサー』 (中公文庫、2005/7/26) など。

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