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契約の箱とエチオピア

契約の箱

若い頃、外国文学が好きでよく読んだ。そういう時必ずついてまわる意識の溝、つまりキリスト教を信奉する人々と自分との間に常に感じる隔たりについて、真剣に悩んだことがあった。
そうしてある時、聖書全巻を通読しようと思い立ち、他に一切何もしないで、パンとりんごをかじりながら一週間かそれ位読み続けたことがある。

そして神の存在感なのか、歴史の重みにかは分からないがとにかく巨大な力に、訳も分からないままに圧倒された。
その後も、時折だが聖書を適当に開いては読んでいた。
その中でも印象深い聖句や、場面があり、その箇所の幾つかがエチオピアについてのものであった。

「また一つの川がエデンから流れ出て園を潤し、そこから分れて四つの川となった。

−中略ー 第二の川はギホンといい、クシの全地をめぐるもの。第三の川の名はヒデケルといい、アッスリヤの東を流れるもの。第四の川はユフラテである。」(旧約聖書創世記第二章)

クシというのはエチオピアのことである。

「ああ、エチオピヤの川々のかなたなるぶんぶんと羽音のする国、この国は葦の船を水に浮かべ、ナイル川によって使者をつかわす。 とく走る使者よ、行け。
川々の分かれる国の、たけ高く、膚のなめらかな民、遠近に恐れられる民、
力強く、戦いに勝つ民へ行け。
全て世に居る者、地に住む者よ、山の上に旗の立つ時は見よ、ラッパの鳴り響く時は聞け。

主はわたしにこう言われた、
”晴れわたった日光の熱のように、
借り入れの熱むして露の多い雲のように、
わたしは静かにわたしの住まいから眺めよう”

−中略ー
その時、川々の分かれる国のたけ高く、膚のなめらかな民、遠くの者にも近くの者にもに恐れられる民、力強く、戦いに勝つ民から 万軍の主に捧げる贈り物を携えて、
万軍の主のみ名のある所、シオンの山に来る。」(旧約イザヤ書十八章)

旧約時代、エチオピヤは、エジプト南端スエネからナイル川流域、北部アビシニヤ、スーダンに及ぶ東アフリカ一帯を言い、ヘブル語でクシと呼ばれていた。
「エチオピヤの川々」とは青ナイル、白ナイルとそれらの支流を指している。

また文中、「晴れわたった日光の熱のように」は、文語訳聖書では「空ははれわたり、日照り、」という表現となっている。

預言者イザヤの言葉はたいがい、戒律を破った者に対する罰や裁きの羅列が多い中で、このエチオピヤに対するものは、好意的で、文学的で美しい。

そのエチオピヤに、「契約の箱」(モーセがシナイ山上で授かった「十戒」の石版を入れたとされる)が運ばれた、という説を『神の刻印』でグラハム・ハンコックが唱えている。
非常に癖のある人物であることは確かだが、その著書の中に、個人的に興味深く読んだ箇所が幾つかあるので後に紹介してみたい。

さて、ここからは聖書の記述に沿って、契約の箱について言及している場面を見ていこう。

BC1700年頃から、イスラエル民族はエジプトで四百年にわたる奴隷の苦役の生活をおくっていた。彼らは解放者を待ち望み、あらわれたのがモーセだった。
彼はユダヤ人ながら、エジプトの王女に養子となり、エジプトの高官となるべく軍事、天文、建築などの教養を身につけた人物である。 そのモーセは数々の奇跡によってユダヤ人たちをエジプトから救い出した。
しかし荒野を越えて目指すカナン=神の約束の地は遠く険しい道程であった。しかし、それらの困難は、彼らに選民としての地位を確立するものでもあった。そして神がモーセをシナイの山に呼び、与えたものが十戒であった。

一、あなたは、わたしのほかに何物をも神としてはならない。
二、あなたは、刻んだ像を造ってはならない。それにひれ伏してはならない。
三、あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
四、安息日を覚えて、これを聖とせよ。
五、あなたの父と母を敬え。
六、あなたは殺してはならない。
七、あなたは姦淫してはならない。
八、あなたは盗んではならない。
九、あなたは偽証してはならない。
十、あなたは隣人の家をむさぼってはならない。

神の手が刻んだこの十戒の石板二枚を収めたアカシア材でつくった箱が、契約の箱である。
契約の箱は、カナンを目指して荒野を移動する間は、天幕に置かれたが、BC961年、ソロモンが王となり神殿をつくった時から、神殿の至聖所に安置された。

地上の諸氏族のの中から、神に選ばれたイスラエル民族であったが、大帝国となって、苦難の時代もいつしか忘れ去られると、戒めは力を失ってゆく。

ソロモンの死後BC930年頃、帝国は二分し、北イスラエル王国はアッシリア人に滅ぼされ(BC721年)、南ユダもバビロンによって滅ぼされた(BC597〜606年)。
バビロン王ネブガドネザルによって、王と王族、役人など含む一万人が捕囚となって連れ去られ、神殿の宝物もバビロンへすべて移された。

至聖所にあって年に一度、大祭司だけが香を捧げることが許されていた契約の箱の行方も分からなくなる。
アッシリアや、バビロンに持っていかれた宝物の中にも記載がないのである。

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