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ホメロスの視点

トロイ戦争

トロイ勢の活躍とギリシャ勢の活躍を比較すると、ホメロスは一応両者を交互に描いてはいるが、やはり後者にバランスは傾いている。

これは一つにはトロイ戦争の物語が、満ち潮の勢いにのって、イリオンの岸に押し寄せる、ギリシャ軍の不可抗的な力に、少しずつ後退していくトロイ側の「滅亡の定め」を歌ったものであるから、それだけにトロイ側に滅びの予感を濃くかもしだしているわけである。

倒れていくトロイ将兵にはホメロスは多くの言葉を費やしているが、同じく倒れていくギリシャ将兵に対しては、あっさりと名前をつらねるだけにとどめている。

これは一読ギリシャ方の武勇に厚く、トロイ側のそれには簡に傾いているような印象を与える。 実際、ギリシャ人のための詩なのであるから、そういう配慮も働いているだろう。

これはギリシャ方の傷ついた将らが、たいてい正面から向かってくる敵に傷つけられたのではなく、虚をついて脇を襲われたり、パリスのあまり名誉といえない武器である弓の矢が命中したりするのに対して、トロイ兵が背を向けて逃げる所を討たれたり、また苦痛の多い倒され方をする描写の色わけにも明らかに出ている。

 「さればあわてて死を遁れようと・・・その逃げていく後を追いかけて、メーリオネースが槍をもって、隠しどころと臍との中間をついた。そのところは、いたましい人間にとり、いちばんに軍神が手痛いところである。・・・槍をかかえてもがくさまは、さながら牛を山中で牛飼いの男が、いやがるのを縄でしばって、むりやりにもひいていくのをみたような・・・」(第十三巻)

 「だがその退(すさ)っていくのをめがけ、メーリオネースが青銅の鏃をつけた矢を放って、右方の臀へとあてれば、矢はまっすぐに膀胱のところをつらぬき、骨の下をとおして出た。」(同)

 こういう倒され方をするのは、まずトロイ方と決まっている。しかしまた、ホメロスのトロイ勢を見る目が、中世や近代の叙事詩のように、偏狭なナショナリズムや宗教的狂信によって歪められていないことも確かである。

ホメロスもギリシャ勢も、トロイ連合軍に対して何ら人種的、イデオロギー的、宗教的憎しみを抱いているわけではない。 彼らはただ戦争が必然的に要求する感情や本能に従って考え、行動しているだけである。

そして戦闘行為を正当化する唯一のものは、個人および共同体の欲望であり、戦闘の中でおのずと生じてくる怒りと復讐への意志が、彼らの戦意を一層あおりたてるのである。

従って一定の時をおいてみれば、そこになんらの敵に対する怨恨を残すことなしに、公平な目で敵軍について語ることも可能になるわけである。

 そこに「悲劇」としての軍記物が生じてくる余地がある。もちろん作者は一定の共同体の利益を代表する以上一方に偏することを免れないが、また敗者である敵をことさら悲劇的な存在として描くことによって、今は勝者であってもいつかは立場が逆転するかもしれない宿命を、聴く者の意識に呼び覚ますのである。

結局トロイアを滅ぼすものは、ギリシャ勢の武勇であるというよりも、神々の姿に仮託された不可抗的な定めであることを、この物語は語っている。

両軍の旗色を右に左になびかせているのは、オリンポスの神々であるが、また彼らひとりひとりの神々にもいかんともしがたい定めが、この戦の上にいわばシナリオとして掲げられているのである。

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