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都市の緑

都市

 都市と緑は密接に関わっていて、本来は自然の征服から人の文明は始まったものの、特に古代文明においては緑の消滅は時に文明そのものの滅亡をも意味した。

 アラビア半島にはレバノン杉の森林があったが、シュメールやバビロニアの時代から様々な王朝が立ち、神殿や宮殿の建材として乱伐され砂漠となってしまった。アフリカでもサハラ砂漠では、岩絵にカバや水生植物がいっぱい書かれていて、本当は緑にあふれた都市があったのだ。

 イースター島の滅亡にしても同じ。食糧危機や度重なる戦争が原因といわれるが、それを引き起こしたのが森林伐採による木々の激減であった。亜熱帯、熱帯といった地方では、一度、植物相が失われてしまうと再生しない。砂漠になっていくだけだ。

 その点、我が国の場合は、雨が多くて湿潤な夏があることによって自然は岩山にならなかった。蘇生力が非常に強い照葉樹林であったこともある。先進国において日本ほど緑の多い国はない。しかし、この特殊な恩恵も都市においては例外でアスファルトで固められた道には緑が生えることは無い。

 子供の頃住んでいた杉並区の阿佐ヶ谷には、中杉通りという通りがあってそこの街路樹にケヤキが植わっているが、高木で美しく、雨や日差しもさえぎってくれ都会の中の一種の清涼剤だった。それなのに葉が茂ってくると枝を落としてしまう。枯葉が邪魔だとかいうことなのだろうが、枝を落とさなければさしかわして天蓋のようになっていたはずで、なぜ人の手を入れてしまうのだろうとがっかりしたものだ。

 また上野の博物館に背の高いイチョウの木があるが、まるで棒のように刈り込んでしまって、生きている化石といわれる木なのに悲惨としかいえなかった。

 個人的な好みを承知で言わしてもらえば、街路樹の理想は寒い地方であればナナカカマド、ごく普通にはプラタナス、ゆりの木、ハナミズキなどもいい。実のなる木もいい。函館の街路樹はナナカマドだったが、白い花が咲いた後、赤い実がなって冬場でも小鳥が食べれるし、他にリンゴ、カキ、いちじくなどもよい。また札幌大通り公園のライラックも姿が良く美しい公園にふさわしかった。

 また、木は下手な植木職人が剪定などせずとも、自然の姿が最も美しくなるようにできていると思う。金沢の県庁前の広坂に植わっている松の木は、そんな中、剪定によって木の美しさ、生命力を感じさせるほとんど唯一の例だった。

 中目黒の駅からほど近い目黒川の両脇にある桜の並木は、剪定されておらず木本来の枝ぶりになっていて春の美しさはもちろん、今の季節はずーと川沿いが木陰になっていて、護岸してあるのだがゴミ一つ落ちておらず、住民の町に対する愛情と意識の高さが感じられる。

 埼玉県三郷市にある早稲田団地は道路が車道、自転車道、歩道と3つに分かれていて快適に散歩ができる。車道、自転車道間には背の高いアカシヤが植わっていて、自転車道、歩道の植栽は低木であるツツジが植わっていた。アカシアは香りがよく花の咲く季節は本当に気持ちが良い。また家と家の間がとても広く取ってあって植え込みが多く、植栽が植えてある木や配置もよく考えられていた。公園も大きく郊外都市のよい典型だと思う。

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