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略奪民の歴史

略奪民

 次に、略奪民誕生の歴史的な側面を見ていきたい。 特にゴートとヴァイキングの両部族に焦点をあてて話をすすめてみよう。


 まず現在のヨーロッパの祖であるゲルマン人の移動について、ゲルマン民族のゴート族を例に挙げる。


ゴート族


 紀元前1000年頃から、スウェーデン南部に居住していたゴート族は、気候の寒冷化によって食糧不足に悩まされていた。そのため彼らは豊かな土地を求めて南方を目指した。民族大移動といっても、実態は食えなくなって故郷を逃げ出した武装難民の群れである。

 ゴート族は移動先のケルト人など先住民族と戦い、征服しながら、徐々に南下していく。やがてドニエプル川のほとり、キエフの辺りに辿り着き、ゴート族は大王国を築いた。(王国はしばらくして分裂し、東ゴート王国と西ゴート王国に分かれる。)

農地の荒廃

 民族大移動を起こす前のゲルマン人の社会を知る史料としては、カエサルの「ガリア戦記」とタキトゥスの「ゲルマニア」がある。「ゲルマニア」によると、ゲルマン民族は数十の部族に分かれ、狩猟・牧畜・農業によって生活していた。しかし、当時の農業は施肥や輪作を知らなかったため、彼らは農地がやせるとその土地を捨て、新しい農地を求めていく。このためゲルマン人社会での人口の増加とともに土地不足が深刻となり、これが民族移動の内部要因となる。

連鎖的な民族の移動

 このころ、アジア系の遊牧民族であるフン族が西進を始める。彼らは、馬や家畜を養うために、広大な草原が必要だったのである。その征服の途中に居合わせた民族が、フン族から逃れようとすることで、大規模な民族の移動がドミノ倒しのように始まる。

 フン族は、ドナウ川流域の辺境に住む、東ゴート族を征服し、さらに西ゴート族に迫る。このとき、生き残った東ゴート族は、その後フン族とともに行動した。

 フン族に追われた西ゴート族が375年に南下を開始し、ドナウ川を渡ってローマ帝国領内に侵入したことが、ゲルマン民族の大移動のきっかけになった。こうしてヨーロッパ各地にゲルマン民族が広がっていったわけだが、その後彼らはどのように移住先に定着していったのか。それを説明するためにはヴァイキングの歴史を追っていく必要がある。


ヴァイキング


 4世紀のゲルマン民族の移動の際に、故郷に残り続けていた人々、それがヴァイキングである。彼らは爬竜船と呼ばれる喫水線の浅い船を用い、海上を航行する船舶を襲って略奪を繰り返したり、傭兵稼業をしていた。彼らが、後に略奪を行うようになった理由は、主に二つある。

1、慢性的な穀物不足

   その過酷な寒冷地帯の風土により、スカンジナビア半島の人々は、遙か昔から豊かな新天地への移住という夢を想い描いていた。貧しい農作地帯しか持たない彼らは、極めて深刻な穀物不足を抱えていたのである。自分達で賄えない分の穀物は、南側の諸国から買っていた。

2、領国の統一への反発

 もう一つの理由は、内的な問題である。スカンジナビア半島は、元々は小さな領国が混在する土地であったが、それを統一しようとする動きが強まり、その動きに反抗した沿岸付近の領主達は、こぞって海外へ新しい発見を求めた船を出した。

人員には、近頃の人口増加ということもあり、事欠かなかった。土地を相続できない次男や三男が、自分達の新しい土地、キリスト教諸国にある金品を求めて略奪活動を行ったのである。


ヨーロッパ支配の完成


 バイキングの被害をまともに受けたのが、分裂していたフランク王国だった。彼らはフランクの海岸地方を荒らしただけでなく、ライン、セーヌ、ロアールなどの河川やその支流をさかのぼり、内陸地方にまで進出した。西フランクの被害が特に大きく、一時はパリも彼らに包囲されたのである。

 東西のフランク王国は、これに対して抵抗らしい抵抗ができなかった。国王のやれることと言えば、屈辱的な和平条約を結び、多額の金銭を払って帰ってもらうことだけだった。この様なことが、ノルマン人の侵攻のたびに繰り返された。

 さらに西フランク国王は、911年にロロに率いられたノルマン人の一団を、キリスト教の改宗を条件に、セーヌ川流域への安住を認めなければならなかった。以後、この地域をノルマンディーと呼ぶようになる。

 しかし9世紀末以降になると、ノルマン人の暴力行動は次第に影を潜め、むしろ平和な商業の展開を目的に、永久的な安住の地を目指すようになった。ロシア方面への進出もそのあらわれで、アイスランドやグリーンランドに赴く者もいた。

 別の一派は、ジブラルタル海峡から地中海に入り、イスラム勢力と争いながら、南イタリア、シチリア島までその勢力を伸ばす。そして12世紀に入ると、両シチリア王国を建設するまでに発展した。


 この様に、彼らはヨーロッパの各地に広がり、ノルマン人による経済圏を作っていった。

 バイキングの襲撃は10 世紀末に終わる。デンマーク、スウェーデン、ノルウェーは王国になり、王たちの精力の多くは内政に費やされるようになった。

キリスト教の普及によって無宗教時代の戦士的価値観はしだいに失われ、彼らはまた、侵略先の土地に同化し、バイキング固有の文化は現地の文化に吸収された。イングランドの占領者や征服者はイングランド人となり、ノルマン人はフランス人となり、ルス人はロシア人になった。

 その後の十字軍、大航海時代、一次、二次両大戦と続くヨーロッパ民(と彼らの集合体であるアメリカ民)の世界各地の収奪は、1000年近くの時が流れた今も、民族の記憶の奥底にある略奪民の本能として残り、彼らを突き動かすのではないだろうか。


参考文献・関連書籍

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